ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

皮肉


穏やかな滅びをも見据えている者たちが
動物利用や出生や対価交換に違和感を抱いて
滅びを何よりも加速させる
それらの倫理観から手を引いて行き

滅びたくない者たちが
破壊活動こそ何よりの稼ぎ口になる
対価経済至上主義に ひいてはそれ故の
動物利用や出生にしがみつく

そんな皮肉

アイロニカルが日本語になると皮と肉
っていうグロテスクな単語の並びになるから
口角がかすかにあがって鼻から小さい息がもれる
皮肉の語源自体にも皮肉を感じるけどここでは割愛

思想が強いねだってさ
じゃあ君は思想が弱いのなんてね
思想を持たないという思想さえあるのに
誰もそこから逃れられないのに

それで逃げれたつもり?




誰かが傲慢と呼ぶそのあたりまえを傲慢とする宇宙法則の傲慢さは


私も、種を問わずすべての他者も
この宇宙に存在するあらゆる有感生命が
常にさいわいであれる
物理法則の世界にいたかった。

さいわいの形がそれぞれである限り
そのそれぞれをそれぞれが脅かさないまま
それらの形が叶う法則の中にありたかった。

たとえば、衣食住足りているだけで
さいわいなのだから
それに感謝し謙虚でいなさい
と言われるけれど
衣食住が整っていないと苦痛を感じたり
命の危機に陥る…そんな肉体なのであれば
環境と肉体はもっと連動して
快適さを保障するものであってほしかった。
ライフラインが安定していることなんて
どこに行ってもあたりまえであってほしかった。

そんなのあたりまえだろって
そういう態度を傲慢と呼ぶのなら
傲慢でいられる世界であってほしかった。

それはもはや物理法則であるのだから
リンゴが木から落ちるだけのように
そこには謙虚も傲慢もない。
そんな世界で、あってほしかった。

あってほしかった。

誰かが傲慢と呼ぶそのあたりまえを傲慢とする
宇宙法則の傲慢さは追求されないまま
個の有感を弄ぶことは許されるのか。

許されることと許されないこと。
私にとってはこの世界の多数派の感覚のそれが
まったくのあべこべで。
私は生まれてくる星をまちがえた。

ただ一筋の差し色だけに見惚れ続けて
死なないほうを選んでいる。

今日も視界がくらくらする。



とある研究者の日記


捕食というものがある限り
多様性などはそれ自体がもはや惨状だ
バリエーションすらディファレンスに
変えてしまう私たち
どんな理想郷でも
エイブリズムからは逃れられない
だから非常口を
必ず非常口をつけておけ
どんな世界 どんな宇宙でも
非常口だけは禁ずるな
---------------------------------


私が日々唱えているのは
いわば遺伝子への反乱
原始への反乱でも
ありますから
それはそれは
何言ってんだこいつ
と、思われることもしばしばでしょう。
まぁそんなことはなんの支障にも
ならないのでいいのですが。

何を隠そう
たとえば
「ここで同じ胸の痛みを覚えないのか」
といったような
多様性という言葉では
ぬるいほどの多様性に
感性、クオリアというもの
それ自体が恐ろしくなり
それはそれはなおのこと
遺伝子への反乱の心を
強くするわけでありました。

38億年の暴力に
ただ、終止符を打ちたくて。


声は


暴力を暴力と認めずして振るわれた暴力に
震えるしかなかった君たちに
手を伸ばすことさえできなかった
だから本と人に手を伸ばす
せめてこの腕の長さと足が歩ける距離だけでも

声よ、声は、人間の鳴き声だけではない
声よ、声は、音だけではない

バーコードはつけない
値段のない時代を想像してほしい
対価至上主義に呪われた私たちから解放されたい
だからギフトエコノミー無償循環ビーガニズム
そして基礎は安楽死が認められていること

私たちは基本的な権利すら奪われた世界で生きている

声を上げよ 音が出ずとも



ユートピアの台本


人とどう関わっていったらいいかわからない。
会話用の台本がほしい。
ユートピアに最短で辿り着ける台本がほしい。

告白すると、私は絵を描くよりも
歌ったり朗読することの方が好きで。
うまいヘタは、置いておいて。
長時間続けていられるのは
圧倒的に声を使った作品で。
2時間で疲れてしまう作画も
歌なら8時間一人でぶっ通しで歌っていられた。

言葉から垣間見える人となりを、音にしてみたい。
自分の声なんて嫌いだった。
でも気づいたら叫ぶようになっていた。
それは同じように叫んでいた。
あの子や君のおかげで見つけた
表現方法だったりするんだよ。

あぁそうか叫んでいいんだって思った。
作品のために作った漫画のキャラクターとしてではなくて
私は私として言葉にして声に出していいんだと思えた。

人とどう話したらいいかわからないから
朗読という形で思いを語るしか
世界との繋がり方がわからない。
休み時間、クラスメイトに
何を話しかけたらいいかわからないから
ずっと絵を描いていたあの頃から変わっていない。

どんなふうに伝えることがいいのか
そもそも伝える必要なんかあるのか
未だに迷うときもある。
迷いながらも発さずにはいられない。
それが答えなのかもしれないけれど。

存在の証明や
自分が大切にされるために
大切な存在が大切にされるために
訴える仕方はたくさんある。
その形態を一つに絞れないことは
きっと悪いことじゃないと思う。

たとえば、声を出すことすら苦しいときは
またペンを握ったりするんだと思う。
それも苦しくなったら
ただじっとしたりもするんだと思う。

差別や公平や戦争や平和や
ときどき追いついてくる
自分の加害や被害の過去について
ずっとぐるぐるぐる考えて考えて
考えすぎないでって言い聞かせても
そういうときって
でも、きっと考えていたいんだよ。
切り替えたくなんてないときもあるんだよ。
ぐるぐるぐる考えて考えて
いっそ疲れて何もできなくなりたいとき
アドリブとか利かないから
人生の台本がほしい。

けれど、どんなに願ってもそんなものなくて
いざ「これが台本です」って渡されたとして
既存の「常識」が根底に敷かれただけのそれなら
くそくらえとか思ってたぶんどうせ
投げ捨てるんだろうとか予想してしまう私は
だから自分で創っていくしか。

書いたり描いたり歌ったり詠ったりする
穏やかな日々を求めて叶え続けることを
謳い続けていたい。

時になんにもしなくなりながら。
時になんでもしたくなりながら。

そういう人が無理に人と繋がらなくても
無理に一人にならなくても
気がねなく安心して暮らせるような
そんな世界を創っていたいんだ



線を重ねて「正」を観る、青を重ねて空を観る


「正義」という言葉が
単に悪を叩き潰し
“手段を選ばず”排除する
というイメージに奪われたのは
いつからだったろう
 
お腹を空かせた子供に
食べ物を分け与えるお話だった
アンパンマンもいつからか
バイキンマンにパンチする画ばかり
思い出されるようになった
 
透明な特権性にあぐらをかかれた
社会正義という名の公正さや公平ささえも
粉々になって分離して、そのくせ
十人十色だけは絶対的価値で
 
「人それぞれ」に守られた加害性が
今日も誰かを踏みつぶす。
 

「正」の字を書いて人の数を数えてみる
この縦線と横線の数だけ想いがあるという
 
だけど
  
「自由」の意図を
道徳の根本原理が関わる物事にまで
適用しないでくれ
「無責任な自由」にしないでくれ
そんなの自由への風評被害だ
 
たとえ相手を傷つける仕事でも
愛し慈しみ“大切に”世話した末に
本来の寿命よりもはるかに早く
殺すような仕事でも
 
「やってもらってるんだから」
文句は言えない
文句を言うな
源泉は、「苦労は美徳」精神でしょうか
 
なんでもかんでも
「人それぞれ」を持ち出して
なんにも考えずに変わらなくていい自分を
正当化させるようになった始末
 
私たち、歴史のテンプレートを
なぞることしかできないなら
あとどれくらい繰り返せば
時代は変わり切るのかな
 
道徳にさえクオリアがあるなら
時代とか文化とかいう概念さえもいらない
静かな宇宙船で、それこそひとり
漂っていたい
そこでなら、ずっとずっと、
海月でいても確かに許されるだろう
 
 
夕闇に、溶けそうな頭と
薄い青を重ねて
薄い青を重ねて
染めたような窓の外に
 
どうか憂いのために楽しさを奪われないで
世界の美しい部分を忘れないでいて、と
 
視界に届く声を感じたから
 
また一日を
どうか、なんとか



感謝の先



私がほんとうにありがとうって言いたかったのは
自分や誰かの苦痛の上に成り立つ生存や快楽なんかじゃなかったよ。
 
戦争、いじめ、虐待、犯罪、差別、迫害、搾取…

暴力を、辿って、辿って、辿って行ったら

食があった。
ファッションがあった。
ショップがあった。
実験があった。
娯楽があった。
 
残酷さは生きるために必要なことで
仕方のないことだ。

そう教えられてきた。
鵜呑みにしてきた。
思い込んでいた。
あたりまえになってしまっていた。
普通になってしまっていた。
 
だからこそ、そんな世界では
私はもうこれ以上、生きていけないと思っていた。
生きていたくないと思っていた。
そんなことがあたりまえの世界で、長生きしたいとは、思えなかった。
 
ある日、
残酷さは必須ではないことを知った。
 
肉を食べなくても
卵を食べなくても
牛乳を飲まなくても
生きていける体だったことを知った。
仕方ないなんて嘘だった。
 
私の生きていた世界が
ほんとうは、もともとは
そういう世界だったなら
そこに帰っていけるなら
生きていける気がした。
 
だから、私は
そういう生き方を選んでいたいの。
私は私が、生きたいと思える世界にベットしたいの。
生きるなら、誰もが平穏で、楽しい世界で生きていたいの。
 
犠牲はいらない。
悲しくなるから。
何も楽しめなくなるから。
心から楽しめること楽しみたい。

犠牲者の事を思って悲しくなる隙なんて
ないものを選んで笑っていたい。
私はそうやって生きていきたい。
 
完璧だとは言わない。
でもなるべく、なるべく
安心できる世界に繋がるような
そんなことを選択していきたい。
 
暴力の連鎖の、最初の点の、ひとつを
今から断つことができるなら
それは希望だ。
これなら生きていけるかもって
私にとっては希望なんだ。
動物たちの希望になることが
人間である私にとっても希望なんだ。
 
だから、だからね、
 
こんな世界なら生きられると
あなたのような人がいる世界なら
まだ生きられると
思わせてくれる存在に
 
ありがとう。




赤い絵の具がなくなった。

 
ずっと日記を書いていなかった。

気づいたら私はこの間までとは違う部屋で過ごすようになっていて。
独りは寂しいけど、独りじゃなくなったところで全ての憂いがなくなるかというと決してそんなことはなくて。
むしろ新たな憂いが生まれたり。それでも独りになりたくなかったり。
人って環境が変わっても根っこはそうそう変わらないよなって思ったりする日々。
そもそも根本のこの星の環境が変わっていない。

心がまたがんじがらめになる予感に触れて衝動的に赤い絵の具に手を伸ばしてみた。

軽く手ぶくろ並みに厚い絵の具でベタベタの指でもタッチパネルは反応してくれるらしい。
それならこの手の体温はキャンバスにも伝わるのだろうか。

秩序もへったくれもない。
心はうねるのだ。自分ではどうしようもない力で。
アクリル絵の具にヒビが入る。
心も固まってしまったら些細な衝撃でヒビが入る。

赤い絵の具がなくなった。
些細なこと。
そんな些細なことなのだ。



春が終わる、夏がくる。


アパートからコンビニまでの道のり

かかるフィルター
ぼやける視界
淡い笑顔

君との時間は全てがまるで5月の夢

だったのに。


なんというか。
谷をなくしたら山もなくなっちゃうよ。
みたいのよく聞くけど、別にいいし平坦がいいし。
そんな、次にはアビスが待ってますよ
みたいなフリ的な山なら
いっそない方がいいし、結局つらいし、何より
谷がなくなってほしいし、
谷がなくなってほしいし、
谷がなくなってほしいし、
ただ穏やかに穏やかに穏やかに生きたいし、
つらいのやだし痛いのやだし苦しいのやだし、
平がいい平坦がいい平和でいたいなあああ。

怠けるなっていわないで。
甘えるなっていわないで。

コンビニが目の前のところまで来たのに横断歩道を渡る勇気がないから座り込む。

人に対する気持ちもそれ以外の大切なもの何もかもへの気持ちも、少女漫画の主人公の恋心みたいに真っ直ぐじゃないから葛藤する。リアルの感情。

正反対の二つ以上の気持ちが、一つしかない魂にあるから解らなくなる。
そんな自分はおかしいんじゃないかとまた解らなくなる。

どうしたらいい?どう思えばいい?
私の見る景色はみんなの見る景色と同じ?
私の聞く音はみんなが聞く音と同じ?
私はこれで大丈夫?変じゃない?
これは異常じゃない?これは普通?
じゃあこれは?これはどう?

がーっと強く湧いた気持ちは
忘れず書き残しておきたいのに。
1文字打つたびに消えていく気持ち。
正体があやふやなのに確実にここにある気持ち。
あえての漢字変換。あえてのひらがな。
書きこぼしてしまったかもしれない気持ち。

忘れるのが嫌だから書きたいのに
書こうとして鉛筆を握った瞬間
忘れていくあの感覚が悲しすぎるから書きたくない。

したいとしたくないが同じ強さで襲ってくるから結局どこにいっても苦しい。
私が私である限り苦しい。

自分っていう病気。
人生恐怖症。

今行けるだろってくらい
遠くに見える車にも恐怖する私は
横断歩道もうかうか渡れなくなる。

記憶はどうしたらいい?
知ってしまったことはどうしたらいい?
知らないことはどうすればいい?

疑問形ばっかりの頭に神聖かまってちゃんのフロントメモリーが響く。
「I LOVE YOUって英語で習ったんだっけ?」

春が終わる、夏がくる。
ちょっと降ってきた雨がそろそろ行きなよって言うからそろそろ行くね。




「元気でいてね」と「病んでもいいよ」の両方をくれる


嫌いな過去を物語るモノには近づきたくない。
目に映るもの全てへの思い出補正が強すぎて、モノそれ自体の価値をちゃんと見れてることなんてどれくらいあるんでしょうか。

近づきたくなくて噤むのに
そのくせ、いきなり心の奥のものを外に出したがる衝動には勝てない。

病んだ。なんてもううんざりで。
絶対幸せになりたいし、私は元気でいたい。笑っていたい。絶対そうなのに。
人って慣れない幸せでも吐き気が起こるものらしくて。

息切れを起こして走れなくなる瞬間がとても悲しいから、気持ちが走り過ぎないように、走り過ぎないように。
そうして思い出す、死にたかった朝が、未だにここにあります。

死にたいと思った瞬間苦しくなる
生きたいと思った瞬間不安になる。

しあわせで、ありたいなぁ。

だから、「元気でいてね」と「病んでもいいよ」の両方をくれる
君が、尊くて必要で仕方ないんだ。



解決したいわけじゃないという気持ちを解決したい気持ちを解決できない。


この間、本屋に行ったら、泣きわめく小さな子供がいた。
耳から脳へと貫く、キンとした尖った泣き声。
鼻とほっぺを真っ赤にして。
ふたつに結わえた柔らかそうな髪の毛を揺らして。
空に向かって小さな口を、一生懸命大きく開けて。

本当はさ、本当は、大人だって。
子供のあれくらい泣きわめきたかったり
暴れたりしたくなるくらいのものを
常日頃もってるんだよね。

だけど大人はそれができない。
だけど大人は、それができないんだ。

なんてことはない、ただただ、
そんなことを、ただ、ただ…
思ってしまいました。

心の中にある輪郭を、指でなぞるみたいに、確かめた。
でも、名前をつけられない。
こういう気持ちを、みんなはなんて呼んでるんだろう。
どうやって、折り合いをつけてるんだろう。
どうやって。

物事の解決を求めているわけじゃないこの気持ちを解決したいこの気持ちはどうやって解決したらいいんだろう。

本を持って、レジに向かった。
母から、「使っていいよ」と渡された図書券が財布から顔を覗かせてた。
端が少し毛羽立っていて、黄ばんだ図書券。
子どもの頃に、確か何かの奨励でもらったもの。
もうずっと昔に使い切っていたと思っていたのに、1枚だけ残ってた。
最後の1枚。
お金と一緒に置かれたその1枚を、店員さんが慣れた手つきで機械的にレジスターへ挟む。
今頃になってとうとう使い果たした。おかげで少し節約できた。

家に帰ったら本を読める嬉しさに、少し足を浮かせてレジを出た。
さっきまで駐車場で泣いていた女の子が、お母さんと一緒に店内にいるのが視界の端に入った。
私の前で開いた自動ドアが、外の冷気を連れて、背中を抜ける。

お母さんに手を引かれたあの女の子は、まだ、泣いていた。



道徳という言葉では生ぬるいものを


規則って何?
そんなものに縛られた創造はしたくない。
世間体って何?
そんなものに縛られた創造はしたくない。

ただ、自分の手の届く範囲なら
自分が納得できるなら
誰かを傷つけないように考えるのを
蔑ろにはしたくない。

でもそれって規則とか世間体とかとはまた別次元の話だよね。


…ひたすら音楽を流すしかできない時間のやるせなさ。
下書きのままの日記を書き終えることすらできてなかった。

「甘えてもいいよ」「頼ってもいいよ」
と、いくら言われても。結局、
「甘えるな」「頼るな」「ひとりで生きろ」
と言われる。
言われる前に強いられる。
生きていかなければいけない世界だ。
そうだ、この世界は冷たくて、私が思っているよりずっとずっと残酷だ。
そんなエラーのような規則や世間体が支配している世の中。
だから音楽すらうけつけない時間をつれて来ないようにどこかに飛び出さなければ。

傷つけ合うことがデフォルトの世界だなんて思いたくない。
そんな世界では生きていけない。
だから規則とか世間体とか音楽を受け付けない時間よりも
もっと前のところ
核の奥にあるはずの
道徳という言葉では生ぬるいものを
携えて、掲げて
飛び出していくほか、ないのだ。
きっと、私は、そうすることでしか
この世に居る意味を見出せないのだ。
わざわざ、まだ、この世に、居る意味を。




次元は変わらないまま日付は変わる


自分の急所


心はもともと柔いものだけど
その中でもとくに柔い部分

そこをふいうちで狙われた時の
自我のコントロールがうまく行かない


そうなると
平気で誰かを傷つけてしまう
そんな柔いものを武器に
夢にして生きていこう
なんてしてるんだから
笑っちゃう

傷つけるくらいなら
黙って傷ついたほうがマシ
だけど傷ついちゃうと傷つけちゃうから
傷つけちゃうと傷ついちゃうの

生ける日々のパラドクスが解けないの

いつでも死ねると思えることが
生きていく糧になる
生きたいから死にたいって言う
殺したくないから殺したいって言う

ううん違った
パラドクスなんかじゃない
本当にそのままなの
そのままなんだよ

うまくいえないな
もどかしいな
こんなこと思うこと自体もどかしい

いつの間にか日付が変わってしまった
次元は変わらないままで
ああ頭よ、いいかげんにしろよ

こんなふうに
生きていくしかないんだろうな

そんなふうに
生きていくしかないんだろうな





感情という記号


感情を綴るツールである言葉。言葉。言葉。

それがただの記号にしか見えない時はあるけど、やっぱり私は言葉が好きだ。
詩が好きだ。
歌が好きだ。

背伸びした言葉を並べたって稚拙さが際立つだけ。
いくら心を込めたって、どっかよそよそしくて、結果空っぽになるだけだ。
私の言葉でなくちゃ意味がない。
青臭くて何が悪いと
此の小さい四角さに叫んでやりたい。
ふと出会った心を叩きつけたい。

だけど、ときどき全てが虚しくて。

ネガティブな気持ちも
ポジティブな気持ちも
嬉しいも悲しいも同じ。

感情を感じるのがすごく苦痛。

それもまた、私の本当。




2011年5~7月の日記より


今日もきっと正常に、正体のない感情がいます。


会話が全部終わった後に、ああやっぱり話さなければよかったかなと無理やり作った笑顔の後がずきずき痛んでいた、たとえばあの頃やあの時。

自分の素顔がわからないと彷徨っていたあの時。

だけど君や貴方なんかに見せた笑顔も泣き顔も、それは、嘘じゃない。

好きなモノと嫌いなモノの差さえ、鏡みたいで。紙一重で。
本質よりも「モノ」につきまとう過去や人が影響していたり。
今まで興味がなかったのに、好きな人の好みだと知った途端、大好きなモノになったり。
思い出は優しいモノだというけど、自分が優しくなるのを邪魔するモノでもあったり。
思い出が、嫌いなモノは嫌いだと言わせることもある。

そんなんだから、たとえば音楽を受けつける耳があるうちに、たくさん聴いておきたい曲がある。それが聴こえるうちは、眠れない夜にだって勝ってやれる。
どうせこの心臓はまたいつか、耳に入る全ての音を雑音とみなしやがる時がくる。
だからそうでない時はせめて。






昨日の今頃より、明日の今頃より、今を生きたいだけ。


闇色の過去は視界の角をかすっただけで、いとも簡単にこの腕をひきずりこもうとする。
同時に
「何か大切なことを忘れてないかい?」
そう、問いかけてくれる場所でもあるけれど。

過去も未来も一瞬でしかない現在を圧倒的に凌駕してくる。
生きているのはこの一秒一秒なのに。
そのくせ苦痛に関しては今その瞬間が圧倒的だ。

たとえば
穏やかな心でいると、今度この心がなくなるのはいつだろうと怖くなる。
荒んだ心でいる時は、今度穏やかになれるのはいつだろう、なんて、考えられないのにね。

「今」がずっと穏やかで本物の笑顔だけで満たされていたらいい。
本気でそう思う。




top