ふと目についた石ころを


歩きながら思ったことがある
道端にころがる小石のように
私はそうやってひとつひとつ忘れられて
君をこうやってひとつひとつ忘れていくのだろう
こう思うことすら明日にはまた忘れていくのだろう

雲がかかった月食を見たとき
月の輪郭がはっきりして
すごく近くに感じた
ホントに月に行けちゃいそうな気がした夜

鈍くなれた痛覚とか
ぼやけていく残像とか

光を取り戻していく月の下
傍らには人生を支えてくれた音楽があって

手が届かない宇宙は
それはそれでもっと
大切な感触を届けてくれてる
ような気がしていた

飛べない自分を
愛せたりもした
優しい夜もあった

そんなあれやこれやを
これまでも これからも
忘れたくないから
忘れてほしくないから

きっと書くんだ、私

生まれたくなかったけど
生まれてしまったならと
何かを取り戻すように

拾い集めるように

日々を

拾い集めるように




2011年11月の日記より
加筆修正済み


一秒を紡ぐつぎはぎの地べた


打ち明ければ予想がつく返答

「そんなことで」
「それはちがうんじゃ‥」

人の悩みってなんだろう

生きづらさ もがきとか
おおげさなんでしょう
そういうの 隠していかなきゃ
生きていけない世界なの

脳みそのつくり自体が浮き世離れでさ

夕方の鼻につくオレンジに照らされて
フワフワした感覚に気づくと
道の微妙に真ん中で
座り込んでしまいそうになるわけです

そうして帰宅して
自分でかけた鍵のことも忘れて
ドアを開けられずに
独りで虚しくなっては今日も
何も変わらなかったなと
嘆くわけです

こんな景色じゃさ
そりゃあ神様も
生首じょうたいです

そんなものを抱えながら
いい子ならできるよ 大丈夫だよ
とやってきた自分に

いい子なんて
ふざけるな 誰だてめぇ
わたしはわたしを笑わせんなと
振り切るように描いてきたもの

そうやって
切っては貼るを繰り返し
粘着力のなくなったつぎはぎも
汚い消し後も
ぜんぶ懸命な心の結晶

傷跡と まるで同じだね

そんな重力で
地べたに繋ぎ留められたまま

線を描くように
ほら生きてます

今日も




2011年9、10月の日記より
修正済み




視力0.5の世界で


どうして切なくなるのかな
世界がうざったくて
視界がはっきり見えるのも厭で
わざと眼鏡を外して見た夕焼けは
何を言っているのでしょうか

二階の耐え難い暑さとか
答えをくれないメールとか
信じ続ける不安とか
そういう信念の矛盾とか
愛してるといいながら
それほど愛していないものとか
そうやって悩むってことはつまり
愛してるってことなのかとか
縦に切るひこうき雲が
傷痕に似ていたこととか
全部投げ捨てて
昼寝に走る瞬間の気持ち良さとか
そうして起きたときの
虫が這いずり回る感覚とか
気持ち悪さとか
夏の終わりの煙たさとか
この体のだるさとか
買っといて読まない本とか
もらっといて着ない服とか
立ち眩みとか
明日はどう生きれるかなぁとか
どうせまたこんななんだろうなぁとか


まぁ、どうでもいいんですけど。




2011年9月13日の日記より
修正済み





感情という記号


感情を綴るツールである言葉。言葉。言葉。

それがただの記号にしか見えない時はあるけど、やっぱり私は言葉が好きだ。
詩が好きだ。
歌が好きだ。

背伸びした言葉を並べたって稚拙さが際立つだけ。
いくら心を込めたって、どっかよそよそしくて、結果空っぽになるだけだ。
私の言葉でなくちゃ意味がない。
青臭くて何が悪いと
此の小さい四角さに叫んでやりたい。
ふと出会った心を叩きつけたい。

だけど、ときどき全てが虚しくて。

ネガティブな気持ちも
ポジティブな気持ちも
嬉しいも悲しいも同じ。

感情を感じるのがすごく苦痛。

それもまた、私の本当。




2011年5~7月の日記より
加筆修正済み


気体にノックを



たとえばカテゴライズは

ノックを可能にするための扉であって

排他の精神に則った有刺鉄線ではない

ましてや

自分や誰かを閉じ込めるための鉄格子ではない


空白を読み取ってほしい


なんて言い出したら

そもそも言葉なんて紡ぐ必要性がない

私の存在が空白になってしまう

気体になって

気体になって

炭酸みたいにどこかに抜けていってしまう


それでも

行間に何かを感じてくれるあなたが

テレパシれるあなたが


気体になった私でさえも

感知してくれるあなたが


触れないはずの気体に

気体を気体のまま閉じ込めずに

新しいカテゴリを与えて

きっとノックを可能にする



2019年10月23日の日記より
加筆修正済み



今日もきっと正常に、正体のない感情がいます。


会話が全部終わった後に、ああやっぱり話さなければよかったかなと無理やり作った笑顔の後がずきずき痛んでいた、たとえばあの頃やあの時。

自分の素顔がわからないと彷徨っていたあの時。

だけど君や貴方なんかに見せた笑顔も泣き顔も、それは、嘘じゃない。

好きなモノと嫌いなモノの差さえ、鏡みたいで。紙一重で。
本質よりも「モノ」につきまとう過去や人が影響していたり。
今まで興味がなかったのに、好きな人の好みだと知った途端、大好きなモノになったり。
思い出は優しいモノだというけど、自分が優しくなるのを邪魔するモノでもあったり。
思い出が、嫌いなモノは嫌いだと言わせることもある。

そんなんだから、たとえば音楽を受けつける耳があるうちに、たくさん聴いておきたい曲がある。それが聴こえるうちは、眠れない夜にだって勝ってやれる。
どうせこの心臓はまたいつか、耳に入る全ての音を雑音とみなしやがる時がくる。
だからそうでない時はせめて。



2011年4、5月の日記より。
加筆修正済み。




昨日の今頃より、明日の今頃より、今を生きたいだけ。


闇色の過去は視界の角をかすっただけで、いとも簡単にこの腕をひきずりこもうとする。
同時に
「何か大切なことを忘れてないかい?」
そう、問いかけてくれる場所でもあるけれど。

過去も未来も一瞬でしかない現在を圧倒的に凌駕してくる。
生きているのはこの一秒一秒なのに。
そのくせ苦痛に関しては今その瞬間が圧倒的だ。

たとえば
穏やかな心でいると、今度この心がなくなるのはいつだろうと怖くなる。
荒んだ心でいる時は、今度穏やかになれるのはいつだろう、なんて、考えられないのにね。

「今」がずっと穏やかで本物の笑顔だけで満たされていたらいい。
本気でそう思う。



2011年4月25日の日記より。
加筆修正済。