感情という記号


感情を綴るツールである言葉。言葉。言葉。

それがただの記号にしか見えない時はあるけど、やっぱり私は言葉が好きだ。
詩が好きだ。
歌が好きだ。

背伸びした言葉を並べたって稚拙さが際立つだけ。
いくら心を込めたって、どっかよそよそしくて、結果空っぽになるだけだ。
私の言葉でなくちゃ意味がない。
青臭くて何が悪いと
此の小さい四角さに叫んでやりたい。
ふと出会った心を叩きつけたい。

だけど、ときどき全てが虚しくて。

ネガティブな気持ちも
ポジティブな気持ちも
嬉しいも悲しいも同じ。

感情を感じるのがすごく苦痛。

それもまた、私の本当。




2011年5~7月の日記より


今日もきっと正常に、正体のない感情がいます。


会話が全部終わった後に、ああやっぱり話さなければよかったかなと無理やり作った笑顔の後がずきずき痛んでいた、たとえばあの頃やあの時。

自分の素顔がわからないと彷徨っていたあの時。

だけど君や貴方なんかに見せた笑顔も泣き顔も、それは、嘘じゃない。

好きなモノと嫌いなモノの差さえ、鏡みたいで。紙一重で。
本質よりも「モノ」につきまとう過去や人が影響していたり。
今まで興味がなかったのに、好きな人の好みだと知った途端、大好きなモノになったり。
思い出は優しいモノだというけど、自分が優しくなるのを邪魔するモノでもあったり。
思い出が、嫌いなモノは嫌いだと言わせることもある。

そんなんだから、たとえば音楽を受けつける耳があるうちに、たくさん聴いておきたい曲がある。それが聴こえるうちは、眠れない夜にだって勝ってやれる。
どうせこの心臓はまたいつか、耳に入る全ての音を雑音とみなしやがる時がくる。
だからそうでない時はせめて。