2018年10月17日水曜日

資本主義へのカウンター

「お金のいらない社会」

このワードに、偶然ネットで出会ってから、1年過ぎました。


目覚ましの音で起こされない。

好きな時間に起きて好きなことだけをする。

カーテン開けたら遅い朝食をとって

本を読んだり動画見たり

野菜を育てたり

猫と甘え合うだけ甘え合ったり

絵は本当に描きたい時だけ描いて

時間や予定を気にせずに

毎日朝から晩まで安心しきって生きることができる生活。


――――よく見るネットビジネス記事のベネフィット。


それらはぜんぶ、本当はビジネスじゃなくて
お金のいらない社会でこそ、叶えられることでした。


この言葉と、それを本気で目指す人たちに出会うまでは、好きなことを好きなままに楽しみたいと思ってた子ども時代の記憶に封をして、やっぱりこの世はお金だ。お金が全てではないけどお金は大事だ、必要なんだ仕方のないことなんだとして自分を追い詰めた時期もありました。

だけど1月40万とか稼げた時でも全然楽にならなくて、むしろ気持ちは荒んでいく一方でした。
資本主義では結局どれだけお金を手に入れても死ぬまで働き続けて競争するしかない。
休めるときなど来ない。体が休めたとしても常に焦燥感に囚われている。


競争したい人はすればいい。
でもしたくない人はどうすればいい?
生き方を押し付けられる社会構造はたまらなく苦しい。


いろんなところでデモが起こってる。

ネットでは首相叩き政界への怒りが毎日流れてる。

被害と加害が入り乱れて混沌としてる。


それはあたりまえだと思う。
怒って当然だと思う。
私だって怒っている。

でも、
首相が変わればよくなるのかな。
選挙に行けば変わるのかな。
選挙だって不正まみれの出来レースでしかないのに?

怒るなと言ってるんじゃない。

どうせ怒るなら上手に怒ってみないかと言ってる。




先にトップが変わってはじめて
市民の生活が変われると思いがちだけど

今は、逆なんじゃないかと思っています。

そういう時代もあったかもしれない。
でも、今はちがう。

市民が変わらないと結局トップも変わってくれません。 
トップが変わったとしても社会は変わりません。
悲しいし厳しいけど人任せに待ってるだけじゃダメだ。

現代社会の生きづらさの多くは対価を求める社会構造から引き起こっています。全てと言っても過言じゃないかもしれません。
やることなすこと全てに絶対的に対価を求められてみんな不自由です。
たとえば天才的な技術力の持ち主で、社会を一変する発明ができる熱量と実力の持ち主でも、お金がないせいでそれをできない人がいます。
そして、本来なら人々の間で既に使われていたはずの技術がいつまで経っても使えないことになります。

お金があればなんでもできると言うけれど、
それはお金がなければ何もできないということです。


そのシステムをやめるためにはどうしたらいいのか。

この問に多くの人は複雑に考えようとするし、私も以前はそうでした。
だけど、答えはとても簡単で、シンプルでした。

「ひとりひとりが無償提供と無償享受をすればいいだけ」


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0円マーケットのムーブメントが全国で起こり、無償提供、シェアの循環が広がれば無駄な消費が減り、企業の収益が減り、企業としても対価を求めるやり方に価値がなくなり、このままじゃダメだと気づくでしょう。物は捨てるほどあるし、捨てるにもコストがかかります。結果企業も無償循環の流れに参加することになります。

ポイントは提供だけに着目するのではなくて、「無償享受」することも大事だと言うこと。

資本主義では乞食なんて言葉があまりよくないイメージで語られがちですが、これからはひとりひとりが無償で受け取ることをどれだけ自分に許せるかもかかってくると思います。
無駄な消費をせずに既に持ってるもの、余ってるものをシェアし合うこと。
結果的にそれが企業の無償提供=多くの他者への無償提供を行うことに繫がります。


たとえば家をひとつ建てるにしても、

・木を切ったり削ったり木材を作るのが好きな人
・人から人へ運搬し物を繋ぐのが好きな人
・建築するのが好きな人

それぞれが好きなことを無償で提供すれば、対価なんかなくても家ひとつ建つわけです。

各々が好きなこと、得意なことを無償提供すれば社会は回ります。
全員が嫌がると思われる仕事をやりたい人も実はいます。
それに、そういう仕事はじゃあ企業やトップが気づいて変わってくれるまでの過程として対価ありきの仕事としてあってもいいと思います。でもだからこそ好きなこと得意なことはできる範囲で無償で提供し、市民がシェアしあい、意思表示することが大切な時代に入ってると思います。

こういうことを言うと、「好きなことを仕事にしている自分に、わざわざ嫌いな仕事を選んで苦しめというのか」と思う人もいるかもしれません。

そうではなくて、現状好きなことを仕事にしている人、たとえば絵を描くことでお金を得ていて、他の仕事では心身を壊して続けられない、だから絵と対価は現状切り離せないという人は、その傍らで生活品など余ったものを0円提供、享受していけばいいだけです。
各々ができる分野、できる範囲でやればいいだけです。

それに、ZOZOの前澤さんなんかは、お金のいらない社会の映画を制作しようとしていて、実際そういった社会を目指すと公言しています。企業にも既に気づいてる人はいます。この波に乗らない手はないと思います。


さっき技術の例えを出したけど、実際、今は技術の研究にも提供にも対価がついて回ってるせいで、せっかくテクノロジーの発展が加速してるのに市民のところまで届いてない状況です。
市民が変わり、企業が変わるということは技術分野も無償で研究、提供ができるようになり、技術発展のスピードと普及が爆上がり、多くの人が嫌がると思われる仕事の問題もすぐに解決します。

シンギュラリティなんてあっという間に来ます。

シンギュラリティを待ってるんじゃなくて私たちがさっさとシンギュラリティを起こすんだという気持ちでいないと起こるものもなかなか起きません。



0円ショップはひとりでもできます。余って捨てるの勿体無い物を玄関先に「お持ち帰りください」と書いて置いておけばすぐに始められます。

もちろん各地でやってる0円マーケットが近い人は参加してみるといいと思います。
文化祭などを利用して始めてみるのもいいかもしれません。

この記事をリツイートぺって押してくれるとか、無償提供、循環の場の情報シェアするのも立派なアクションだと思います。

文章書くの好き、得意な人は自分なりに思ったこと、アイディアを書くのだって素敵だと思います。
絵で、音楽で、表現したっていい。

そうやって同じ志を持った人同士で繋がりあって、与え合いの循環が回るといい。

そうやって無償循環の波が全国で広まってほしいです。


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衣食住みたいなわかりやすい現物を提供できる余裕のない私が言うのもなんだかなと、あまりこういうことを発言できなかったけど、言葉は無償で提供できるのでせめてそれくらいやらなければとやっぱり思った。

荒削りなところもあるかもしれないけどこれが今の正直な気持ちと、
今、一番にやりたいことでした。