手紙を書き続ける


私が書き続けているのは全部
宛名の無い手紙だ。

 
…感情を感じるのがこわくって
だいすきなアーティストのアルバムさえ
ずっと買えずにいた。

好きなんて感情は信頼できない。
あいつはいつ裏切るかわかったものじゃないから。
信用なんてできない。

たとえばあいつは目の前にいるひとりの友人よりも
遠くにいる大勢を救うことに喜びを感じるみたいだし。

たとえばあいつは自分の痛みを一方的に解消してもらえただけで
まるでなんでもお互いが分かり合えたみたいな顔するし。

嫉妬、僻み、劣等感、孤独、虚無、愛しさ、楽しさ、
独占欲と乖離欲という共存できないふたつが同じ場所にある。
黒い黒いものがまた落ちてくる。
いやだいやだ。
わたしは誰に何を打ち明けたらいいのかわからない。
繰り返すのは大好きすぎるあんな歌やそんな歌の一節ばかりだ。

いつだったか、私の作品を見て、
「きっとあなたはいい人すぎるんだね。」
と言ったあのひとは、いま何をしているんだろう。

いい人? 私の作品の、何を見て? どこを見て?
いい人? いい人? いい人って何? 

言葉だけ置いて行って、そのひとはそれ以上
私の何にも触れようとはしなかった。


「いい人って、言われたって、どうでもいいひとみたい」


ああまただ。
またこの感覚。

浜崎あゆみさんの、あの歌の一説が、
どしゃぶりの前の、最初の一滴みたいにぽつりと降ってきた。

ああ、そういうことか。

妙にストンと、その言葉が心に馴染んでしまった。
馴染んでしまったんだよ。あの日からずっと。

ずっとずっとここにある。
ずっとずっとここにある。
これを、これを、あとどれくらい持ち続けたらいい?
もう何年。
あと何年。

どうでもいい。 
どうでもいい。 
わたしもキミも
この世界にとってはどうでもいい。
いても、いなくても、どうでもいい人。
そうだ、全部どうでもいいんだ。
この世界にあるもの、こと、全部どうでもいい。

そうして、もうどうでもいいやと
勢いでアルバムを買ってみたら、
わたしは未だにその歌や声やメロディを
すきなままだったんだよ。
ほんと笑えちゃうよね。

まるでタイトルやジャケットイメージとのギャップを楽しむかのように
たくさん詰め込まれた悲しさや孤独みたいなもの。
それらは私が今抱えてる
この何かを前に前に押し出すように連動する。
音楽はずるいよね。
浜崎あゆみさんはどんな気持ちで、あの歌の歌詞を書いたんだろう。
あんな、ひたすら前向きで、前向きで、前向きな歌の中に
紛れ込んでる虚しさ。
あれは、これは、私がいま感じている感情に、近いものなんだろうか。
それとも、まるで見当違いの、遠い遠いものなんだろうか。

わからない。
わからない。
他人の気持ちなんてわからない。
自分の気持ちだってわからないのに。
わかってあげられないのも
わかってもらえないのも寂しすぎるから、
だから人と関わるのはとてもこわい。
でも、本当はわかりたいし、わかってほしい。 
私は、わかりたいし、わかってほしい。
でもそれが難しいから、人と深くつながるのは難しい。

だから音楽を聴くのかもしれない。
だから絵を観るのかもしれない。
だから詩を読むのかもしれない。
だから
深く繋がらないからこそ、深く寄り添えるものに。

私は…
もうずっと書きつづけてる、描きつづけてる…
宛名の無いこれらの手紙に、
いつか宛名を書ける日がくるんでしょうか。

あなたの名前を、宛名と呼んでもいいのでしょうか。
あなたに送れるんでしょうか。